自己紹介1 監査法人編
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今回は自己紹介。
経歴を中心に複数回に分けて書きます。
今回は監査法人時代をメインとして。
※このブログは徒然なるままに右脳全開で感性のままに書いています。校正もほとんどありませんし、段構成など左脳で理論的に構成考えていませんので読みにくいかもしれませんがご理解お願いします。
PDCA会計を運営する公認会計士
改めまして。
須藤恵亮(すとうけいすけ)です。
東京生まれの東京育ち。利き手は左手。ほとんどの作業は左利きだが小学生で書道教室に通っていたため書道は右手で書ける。20代以後はPC操作もあり脳の右手領域(つまり左脳)が活発化。
なのに国語力の文系右脳ではなく、数学好きな左脳派。特に仕事領域(自宅以外)は左脳の理論中心。フリーランス活動や私生活では右脳も活発化する。
現在でもゲームやマンガ、アニメ、歴史、囲碁、IT全般、鉄道好きなインドア派です。
現在は2011年に開業した須藤公認会計士事務所で、簿記会計コンテンツ「PDCA会計」の企画・開発・運営をフリーランスで1人で行っています。
趣味と実益を兼ねて楽しんで独学で学びながら10年以上、かけてここまできました。
ただ、楽しいですが売上にはほとんど繋がらないので本当に貧乏会計士です。
税理士業務に代表される皆さんが思い浮かべる会計事務所サービスは行っていません。
顧客は開業以来ゼロ
です。
元々は会計業務もサービスに入れていたのですが、営業スタイルがニーズに合わず、全く顧客開拓できませんでした。
理由は次の開示情報で説明しています。
関連リンク
だから派遣社員やアルバイトで働いています
開業以来、IT関係の実務を積みたかったこともあり、IT資格の勉強をしながら、主にIT関係の仕事で働いてきました。
IT関係以外にも、経理スタッフや契約書類の作成やチェック、軽作業やイベントなど、様々な仕事をしています。
最近はこれ以上、IT実務を積む必要性は感じておらず、それよりも健康面やストレス負荷、選考の通りやすさから、軽作業やイベントて働くことが多いです。
最初の正社員の経歴は監査法人
アルバイト経験は長く、高校生の時に地元の郵便局で年末年始の郵便配達から、大学時代の塾講師、コンビニ、棚卸商品カウント(これもコンビニ)などなど。
経理アルバイトも経験しています。
でも正社員として働いたのは大学卒業後の2002年夏に公認会計士旧2次試験に合格後に入所した
「中央青山監査法人」
です。
粉飾事件をきっかけに2007年に解散しました。
実は私は、あの粉飾決算の会社をクライアントとしていた監査部署に所属していたのです。
あの会社にもグループ会社含めて数回、監査スタッフとして往査したことがあります。
あの事件から解散までの少し前に退職するまでの間、震源地に在職して監査していたため、会計監査の在り方や不正への対応、内部統制の向上に結びつくような指摘などについて、今日の私に大きな影響を与えたと考えています。
業務内容は法定監査と任意監査
法定監査は証券取引法(現金融商品取引法)や商法(現会社法)監査。
任意監査はIPO準備会社が多く、その他、外資系の監査や独立行政法人の監査など。
法定監査では期中監査で内部統制を見て、期末監査で残高の検証のための監査手続を実施。
任意監査のうち、IPO準備でも大まかには同じですが、よりIPO上の管理体制のチェックという視点が強く、コンサルティング要素が強い。
在職期間は4年程だったため、ほとんどが監査スタッフ(監査補助者)として会計監査に従事。IPO準備会社2社で主査を担当しました。
様々なクライアントの会計監査に携わる
大きなところでは
・大手コンビニ会社
・大手測定機器製造グループ(親会社と子会社数社)
が割と継続で監査したクライアント。
その他、石油、製造、システム開発、情報、サービス、コンテンツ、自働車、建設などなど。大小含め50は超えているはず。
監査科目は税金と退職給付引当金以外は担当。
当時は会計ビッグバンの影響で監査基準が山のように改定していた時代。商法も会社法に変わるなど、基準を追いかけるのが大変でした。
特に「金融商品会計基準」「固定資産の減損会計」などの科目監査や、担当クライアントでの「会社法」対応などを思い出します。
内部統制の文書化と検証
しかし私が監査法人で最も影響を受けたのは、上に書いた通り、不正防止の仕組みである
「内部統制」
に関する業務です。
大きく分けると
・内部統制の理解と文書化
・指摘事項としての報告書作成
です。
特に私の場合、期中に監査補助者として、色んなクライアントを週1or2単位で往査し、内部統制を理解するために
・業務フローチャート
・RCM(リスクコントロールマトリクス)
を、購買、販売、原価計算、人事など業務ごとに作成する仕事が多く、上の粉飾事件の影響もあり、会計監査よりも内部統制に影響を受けたのでした。
元々J-SOXは監査人の仕事だった
語弊感あるタイトルですが、J-SOX制度ができる前は監査人が内部統制理解のために文書化していたのです。
クライアント側では、IPO準備中(それも直前期)やまともな外資系企業でなければ、業務フローチャートや業務マニュアル類すら存在しない、若しくはIPO時のもので更新されず情報が古い、といった会社ばかり。
そこで私が監査法人に入所した頃に、会計監査人(つまり公認会計士・監査法人)による内部統制監査上の基準が公開され、現在のJ-SOXの3点セット(業務フローチャート、業務記述書、RCM)の原形が出来上がったのです。
ただ当基準では文書化するのは監査人側であり、これを進化させ、内部統制の経営者責任を明確にして、文書作成や内部統制監査(内部監査)の実施を経営者に課したのが現在のJ-SOX制度、というわけです。
以上の経緯から、私の世代の公認会計士は実務の裏付けある内部統制に強い人が結構多いのです。
なにせマニュアル類が不備の状態の中で、クライアントへヒヤリングしつつ証憑書類を確認し理解しながら、会計士自身が文書化していたわけですから。
関連リンク
退職
以上の業務をこなしながら、3年間の実務経験を積んで旧3次試験に合格後、公認会計士登録。
その数ヶ月後に退職。
粉飾事件後、監査法人内の雰囲気(派閥抗争に近いもの)に耐えきれずストレスになったことと、監査法人の力の無さ、「クライアントが指摘を改善しない」、「問題と思われる発見事項を指摘に含めない」という場面もあり、社員(パートナー)、マネージャー、主査や監査チームと対立することもあったこと、そして、実務経験を積み公認会計士になったこともあり、
「今度は事業会社内で内部統制を構築、運用して不正のない会社作りに貢献したい」
という思いが強くなったことが退職の理由です。
ある時点で限界突破し、「辞める」と気持ちが振り切れ、すぐに退職届を書いて提出しました。
今後のスケジュールなど全くなし。この点は左利きらしい右脳全開。
まとめ
見切り発車で辞めたけど、どうしよう?という状態。
続きは次回。
公認会計士 須藤恵亮